◆日程:2023/8/26-8/27
◆形態:ハイキング
◆人数:2名(S石K、T山)
◆ルート:
8/26 菅の台~千畳敷~浄土乗越~宝剣山荘~中岳~記念碑着~濃ヶ池~駒飼ノ池~宝剣山荘
8/27 ~宝剣岳~宝剣山荘~千畳敷~菅の台バスセンター
(記録:S石K)
三年前に木曽駒岳に記念碑があるのを知り、新田次郎の小説にもなっていると教えていただいた。110年前の8/26-27に起きた、先生と子供たちの遭難事故を小説にしたもの、「聖職の碑」。小説を読んだらもう一度木曽駒岳の尾根を歩きたくなった。
8/25
24時頃、菅の台バスセンター到着。車はまだまばらだった。切符売り場とバス乗り場を偵察。バス乗り場のベンチにザックが1つ置いてあって、気になったがそのまま就寝した。
8/26
4時起床。駐車場はかなり埋まっていた。驚いたのは、切符売り場やバス乗り場は椅子やらザックやらが並んでいたこと。順番取りだった。やられたと思った。昨夜のベンチのザックは順番取りのためのものだったのだ。慌てて私たちも物を置いて順番取りをした。
始発が出るころには駐車場は満車になっていた。なんとか予定時刻通りのバスに乗れ、ロープウェイを乗り継ぎ千畳敷に到着。人はまばら、お花も咲いてた。T山さんに花の名前を教えていただきながら、宝剣山荘前に到着。運よく10張りしか張れないこの場所にテントを設営できることになった。
午後から天気が崩れる予報で、ここに張れることで随分時短になるし、宝剣山荘が建っている場所辺りは小説の舞台でもある。当時この辺りには伊那小屋がたっていたが、伊那側から登ってきて、途中から台風の風雨は強まり、この小屋を目指してやっとの思いでやって来た先生と子供たち。しかし、小屋は燃やされていた…。
テント設営終了、さあ、ここから。小説の中で気になっている場所はあと3つある。一つは記念碑(遭難の碑とせず記念碑として建てたとのこと)、二つ目は濃ヶ池の風雨を防いだ岩陰、三つ目は白兎(木曽駒にはいない)が飛び込んだハイマツ(何のことかわからないと思いますが)。
まずは記念碑を目指した。木曽駒岳山頂は踏まず、馬の背尾根を歩いて、更に濃ヶ池分岐を超え、20分位のところに建っている。100年以上経っているため文字が風化していた。隣に文字がはっきり分かる新しく建てられた碑もあった。T山さんの提案でお供え物をした。長めに休んで、濃ヶ池に向かう。濃ヶ池分岐まで戻り、そこから下っていく。沢山の岩の中から見つけられるだろうかとキョロキョロしていたら、観音様が乗っている岩が目に入った。これだ!岩と岩の隙間に人が入れる三角形のスペースがあった。この隙間で先生と子供一人が助かった。ありがたい岩なのだ。
雲行きが怪しくなってきた。ハイマツに急ぐ。お花を見ながら、実も食べたりしながら、トラバース気味の登山道を歩き、沢を渡ってすぐの急坂を超えると駒飼ノ池についた。この先は広大なハイマツ地帯。特定するのは至難の業。小説によるとからこの辺りか。13年間行方不明だった子供が白兎となって、マラソン大会に来ていた人を自分のところに引き寄せて発見された。本当の話らしい。頼りにしていた小屋が燃えていてなかったなんてどんな気持ちだったか。台風の風雨の中、必死で引き返そうとして、ハイマツに逃げ込み力尽きてしまった…。当時の天気予報は正確でなかったし、服装もゴアテックスなんてなかっただろうし…。
子供たちが下ったハイマツを私たちは登って、テント場に戻ってきた。戻ってすぐに雨が降り始めた。その晩は酷い雷雨となった。
8/27
4時起床。昨日の雷雨がうそのように朝焼けがきれいだった。今日は宝剣岳に上って帰ろう。宝剣山荘前に荷物をデポして山頂へ。朝早かったので渋滞はなかった。そのまま下った。ロープウェイもバスも数人しか乗っていなかった。
偶然にも当時と同じ日程となり、三年間の思いを込めて巡った山行でした。
T山さん、お付き合いくださってありがとうございました。
8/26 6:15菅の台バスセンター~7:05千畳敷7:15~8;00浄土乗越~8:05宝剣山荘・テント設営8:30~8:45中岳~8:55頂上山荘~10:00濃ヶ池分岐~10:20記念碑着10:50~11:10濃ヶ池分岐~11:25濃ヶ池11:35~12:05駒飼ノ池分岐~12:20駒飼ノ池~13:00テント
8/27 4:00起床~5:35テント場発~6:05宝剣岳~6:25宝剣山荘6:35~7:05千畳敷7:30~8:30菅の台バスセンター