北ア 剣岳/早月尾根 無雪期登山

◆日程: 2024/9/14-15
◆形態: 無雪期登山 ハイキング
◆人数: 2名(S澤、S京)
◆ルート: 馬場島⇒早月小屋(泊)⇒2650mまで⇒馬場島
(報告/感想 by S澤)

■まえおき
 剣岳の山頂を目指した最初は高校2年の夏合宿(45年ほど前): 黒四ダム~ハシゴ谷乗越~真砂沢~剣沢山荘キャンプ場まで順調。ところが、悪天のため山頂は断念。初めて登頂したのは銀座山の会にて2001年5月、源次[治]郎尾根より(with S沢さん)。次は2005年5月に同じく源次郎尾根より(with N野さん and 故I倉さん)。剣岳の地形図を見ると長大な早月尾根に気づき、憧れる方が少なくないであろう。私はその一人。早月尾根を厳冬期に登るのはトンデモない苦行なので、そんなことは検討したことすらなかったが、雪の無い時期ならその気になれば「いつでも」行けるだろうと思って、20年余り。この夏、つれあいのS京と元会員のKさんが北方稜線から剣岳登頂を計画したが、Kさんが腰を悪くして断念。S京の剱岳山頂への強い気持ちと、いつかは早月尾根との私の意志が結合して今回の山行となった。
 天気予報では8/14は好天、8/15は正午頃から雨予想。雨でも山頂に行くという気持ちはなく、悪天ならば撤退当然との想定だった。景色第一なので。

■時間経過
-9/14 8:20 馬場島駐車場(740m)発⇒9:10 松尾平(100m) 9:20⇒10:10 1330m 10:20⇒10:50 1551m⇒11:10 1650m 11:20⇒12:10 1920m 12:20⇒13:20 早月小屋(2220m) [標
高差 1480, 5h00m]
-9/15 1:00 起床、早月小屋発2:20⇒3:10 2471m 3:26⇒4:25 2650m 下山開始 4:30⇒6:30 早月小屋(テント撤収) 6:55⇒7:35 1961m 7:45⇒8:25 1574m 8:35⇒9:05 1290m9:15⇒9:45 松尾平 1000m 9:55 10:20 登山口 760m(⇒駐車場) [2650mからの下りの標高差 1890, 5h30m。早月小屋からの下り1480m、3h25m]

■山行記 — 両日とも日の出5:30、日没 17:30
▼9/13 自宅から馬場島までは意外に近くて約450km。7/13の21時頃車で出発。途中で4時間ほど車中で寝た

▼9/14 晴れ。馬場島の駐車場には7:30くらいに到着、ゆったりと準備して8:20に出発。ちなみに、共同装備は私をちょいと重くした。二人とも徹底した軽量化の努力したものの、重量を測ったら私は13.1kg、S京が13.4kg(なんと私のほうがちょいと軽い)。S京様は私より5才若く、体力抜群なので荷物の重さの再調整無しで良いと判定した。夏のこんな登山ならば「20kgでも問題ない、けども13kgしかないんだからさらりと登れる」と私は確信していたのであった。しかしなんと・・・
 歩き初めて10分ほどしても、登山道入り口がどうもみつからない。GPS見たらなんと過ぎていた。先行二人も同様で、声をかけて2パーティが300mくらい戻ると登山口あり。いきなり急登なるも、30分ほどで傾斜は緩やかとなり、そして松尾平。そこからしばらく緩い傾斜。その後は早月小屋まで本物の急登。この急登は私の登山経験で最も苦しい3のうちの1つだった。大腿の筋肉が辛いのだ。何故なのかの理由は明白。足を土に斜めにおくことができる部分が極めて少ない。斜めに置くと下腿筋に負担がかかるが、その場合は歩幅を自由に調整できるので、大腿筋と下腿筋の負担を適度に分散できる。ところが、早月小屋までの急登のほとんどは木の根又は岩石により一歩毎の登高距離(10cm~60cmくらい)が決まっており、上げた足は根っ子又は岩に垂直に置くしかなく、主として大腿筋だけに負担がかかるのだ。たった13kgの荷物なのにだんだんと重く感じる。9/14なるも気温が28℃くらいなので汗が大量で、休む度に多めに水を飲んで(2L中1.5L)、早月小屋に13:30(5時間)に到達。結婚した年か翌年に黒戸尾根から一泊で甲斐駒ヶ岳登頂した時よりも厳しい登りだった。
 早月小屋から、剣尾根の壮絶な有様が見える。私の実力では剣尾根は「いつかは」では全く無いが、二人ともしばし見とれる。テントを張り一息。隣の単独行の方は茨城の男性。彼は呑まない。私は日本酒を呑みつつで、山話で大いに盛り上がるのであった。その方は毛勝山の予定のところ、天候を考えて早月尾根として、本日山頂を往復したとのこと。17:30が日の入りなので、17:10に小屋の西に行くと、夕日が沈みそう。なんと、反対側を見ると、雲がかかっててブロッケン現象が明瞭。人の影で明瞭な虹が出現している。私は山頂でのそれを観察できたことが何回かあったが、このような稜線中で観たことはなかった。なんと、美しく神々しいことよ。S京は写真撮りまくり。夕日は富山湾に沈んだ。そして、金星が輝く。月はますます強く照らす。
 前日までの天気予報では翌日12時から雨であったところ、10時頃から雨と悪い方向に。もともとの予定は4時発だった。明日は早出が良いと二人で話し合って決定し、1時に起床して2時過ぎに登り始めることにした。もしかしたら、一時的に晴れて御来光(日の出は5:30)が望めるかもしれない、そうなる公算は極めて小さいけども。20時前にS京はシュラーフ、私はシュラーフカバーに入った(私の荷物がS京より軽くなったのはシュラーフ無しだったから)。最低気温は19℃ほどで寒くはなかった。私ら二人はこの数ヶ月の間、山では熟睡できない傾向があり、今回もそうで、横になってから2時間くらいから雨の音でますます寝付けず。

▼9/15 1時ちょうどに起床。小雨なるも暖かいので雨具なしで2:20分出発、山頂で晴れる見込みなしなら、戻るつもりにて。歩いて間もなく若者(男性)が追いつく。彼は先行しながら私らと話し語りを開始。私らはそこそこ元気だったので彼の歩行速度は少し速いものの追従。三重県在住で2022年から本格的に登山開始、200回以上登った!と。なんと、前日の22時過ぎに馬場島から登高開始との由。ずっと単独行の方にしばしばあるように実に実に話し好きで、彼は自分のことを沢山語る。実は私らはずっと一緒のつもりではなかった。自分らのペースで登りたいから。途中でS京がトレイ休憩する場面があり、そこで彼はさっさと先行すると思ったが、なんとそのまま待っていた。そしてまた、三人とも雨具なしで歩いてたところ、雨が強まったために、私ら二人が雨具着たとき、その方は同じく雨具装着して、同行を継続。その後、なんと私のヘッドランプの電源が切れて、電池を入れ替えた時、今度こそ彼は先行すると思ってたら待っているのだ。それからまた楽しく話し語り。彼はyamapにprime05として投稿しているとのこと。
 残念にもだんだんと風雨が強まってきた。鎖場はいくつかあったが、特に困難はなく順調に登高はしていた。しかし、時計の高度計で2650mあたりの4時25分、私は考えた。1.5~2時間で山頂到達できようが、自分にとっての登山は景色第一(ハイキング/縦走/クライミング/沢/スキーのいずれにしても)。今回の山行は山頂到達そのものが目的ではなく、山頂からの景色(特に御来光)なので、撤退が良いと直ちに思った。しかし、S京は山頂到達最優先の気持ちがそれなりにあるとわかっていた。山頂に行けば、S京は達成した気持ちで充実してしまい、次回の天気・景色がよい時の再登頂は私一人になることが危惧された。一人で早月尾根は面白くない。山は酒飲んで楽しくが良い。などなどといろいろと3分ほど考え、S京に相談することなく、「予想では10時から雨なのに、風雨が既に強いし、御来光は絶望的です。この雨と風なので低体温症の危険もあるし、私らはここで撤退することにします」と若者に宣言。若者は「私は行きます」と。私らは4:30に下山開始。「敗退」ではなく「撤退」(笑)。登高したらいくら遅くても6:30には剣岳山頂。余裕もって馬場島に下山できていたであろうけども、少なくとも私は何の未練もなく、今考えても後悔なく撤退した。
 早月小屋までの間に雨風は弱まり、なんと数人が登ってきた。様子見してて小雨になったので登高したのだろうが、上部では風雨がもっと強いであろう。それでも山頂に行く人はいるのだろうか。なんと、そんな時間なのに若者二人が下ってきた。三ノ窓(北方稜線経由)から下りてきたと。50mザイル二本持参ではない感じなるも、チンネ登攀を悪天で断念したのかもしれない。
 小屋に着いてテント撤収、そこからの下山がちょいと苦しかった。ともあれ、登りも下りも黒戸尾根(28年ほど前)よりも充実した気分で10:20に登山口に着いて一休み。すると、ヘリの音が聞こえ、救助活動しているらしい。後からわかったのは早月尾根で滑落した女性が救助され、幸いにも骨折のみだったとのこと。ヘリが飛び去った後もゆったり休憩していると、重装備の若者二人が通り過ぎた。一人は50mザイル2本持っているように見えた。駐車場まで歩く間に二人が車の前で休んでいた。「お疲れ様でした。どこに行っていたのですか」と問うと、「チンネ登攀する予定だったけど、天気悪くて下山しました」と。早月尾根をアプローチとしてのチンネ登攀は聞いたことはあるものの、そんな人達を生で見るとは。今でも、そんな苦行アプローチをする若者がいることを知り嬉しく思った。そして、三重県の若者が心配となり尋ねた。「単独行の人とすれ違いましたか」と。「二人で登ってる人はいたけども単独の人は見なかったです」と。時間経過からして、すれ違わないのは考えにくい。三重の若者がまさか滑落・遭難したのではないかとおおいに心配。帰りの車中、翌日、その翌日まで早月尾根での行方不明や事故について検索したものの、まったくみつからず。
 ともあれ、下山後は途中で温泉に入り、観光地なぞによらずに横浜の自宅まで。
 
▼後日談
下山翌日からprime05さんのyamapを毎日のように見てても新規投稿なし。なんと、9/23に早月尾根の記録があり⇒ https://yamap.com/activities/34419256
 9/14 22:41馬場島発 – 9/15 5:33 剣岳山頂[標高差 2250m, 6h50m] 5:59発- 11:43馬場島 [標高差 2250m, 5h44m]文章を一部抜粋: “早月小屋に着くと2人のご夫婦が行動準備をしていました。そこからは3人でお喋りしながら楽しく登って行き”、”難所であるカニのハサミは壁の鎖と足場は一本のボルトだけが飛び出ており、しかも登りにそこを下る形になるので物凄く怖かったです”, “こうして無事、人生の目標であった剱岳に登頂することが出来て今は感動と達成感で満ちています”
あの風雨の中、無事に登頂していたのだ。prime05さんの山人生がますます充実しますように。
 2024/09/27までのyamap/yamareco検索では、9/15に早月尾根(小屋)から剣岳山頂に到達した記録は prime05 さんのしか見つからなかった。事実として早月尾根からは彼一人だったと思う。9/16の登頂記録は沢山。早月小屋でもう一泊して連休三日目(9/16)に登頂する選択肢を私は全く検討しなかった(食事も酒も小屋で調達できるので、その気になれば容易)。出発直前の天気予報では9/16は雨だったからではあるが、もしも早月小屋到達時点で念のために天気予報を確認していたら、もう一泊する決意となっていた公算は高い。この一点がただ一つの反省点。

■おわりに
今回の山行に私らは大満足。早月小屋からの剣尾根、富山湾への日没、ブロッケン現象、茨城と三重からの単独行の人達との交流、苦しい登りと下り。来年は必ず早月尾根から剣岳山頂に登る。ゴールデンウィーク、真夏、今回のような9月、あるいは紅葉の10月にでも。

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